理由はないけど教職を受けている情報系学生のお話。

この記事は教職アドカレ2019 21日目の記事です

https://adventar.org/calendars/3961

こんにちはcoins17の教授(@ITF_ProfF)です。 私は1年の夏終わりから教職をとり始めました。科目は中高数学と高校情報です。 現在3年で来年度は中高一貫の母校に数学で教育実習に行く予定です。

さてこのブログでは「理系で教職」(とりわけ非自然系)というマイノリティーな私と教職の付き合い方に関して綴っていきます。

時間が厳しい(何でこんな試験期間にアドカレ入れたんだ、過去の私よ)のでパパッといきます!ではいきましょ〜〜

教職課程履修中の様子

教職履修開始(2017年9月頃)

なぜ情報科学の私が教職をとり始めたのか。

正直何も覚えていない。

多分何となくだったと思う。本当になんとなく、ちょっと興味が沸いたからだったと思う。

確か、何となく「ふーん教職かー、母校で教育実習とかあったな、あれ面白そう」くらいのノリだったと思う。興味が湧くのにわざわざ理由立てたりしないもんね、少なくとも私は。

なので決して「教師になりたい」「将来の保険として教職を据える」とかの考えはありません。本気でやってる人ごめんなさい。

そんなこんなで履修を開始。初めて受けた教職の講義は「教育心理学1」だった。前日まで島根にいて寝台特急で早朝に東京帰ってきてそのまま講義だったからよく覚えている。 最早内容なんて覚えていないが、案外面白いなと思った。教職課程っていうくらいなので、教員免許対策的な、それこそ入試対策見たいな空気の授業が続くのかと構えていたら、普通に大学の講義で安心した。さらに教職は、coinsの各科目に比べて単位をとりやすいと感じた。これは集中講義で8、9割の単位を取れること・集中の講義の多くがレポートもしくは持ち込み可の試験であることである。

そして教職の履修届を大学にだし、教職生活が始まる。

教職に関する科目(2018年度春秋)

そして選択的にひたすら集中講義で教職を取っていく。当時は宅通もしていたが、土日に家で惰眠をむさぼるくらいだったら土日に講義に出て内職を盛んに行い、試験を有り余る才能で解いて、単位を稼ぐ方が有意義であった。内職とは言っても、授業中の興味がある内容については耳を傾けた。

この頃教職を受けている中で「全国民教職とるべきでは...?」と思った。というのも、教職課程で教えてもらえることは文科省のアレコレや教育の歴史なんかに止まらず、子どもの心身発達・カウンセリング・障害者支援(特別支援教育)と言ったことなど、多岐にわたる。この辺のことを学ぶと、特に子供の心身の発達であったり、その子供が受ける教育についてほとんど知らずに、将来家庭を持って子どもを育てることになった場合大変苦労するのではないか、もしくは失敗するのじゃないかと不安になる。

そんなこんなで私はこの頃教職に対してちょっと面白さをを個人的に見出した。本来の教職免許を据えた形ではないので、あくまで教育という一つの分野におけるものであるが。

去年は結局1年度で合計70.5単位取得した。宅通だったから大変だったろうに、と言われるが、そうでもなかった気がする。授業に出席すること自体に苦痛さを抱かなければ誰でも出来るのではないだろうか?でも今は絶対したくない。絶対。

ちなみに集中教職の唯一の楽しみはお昼ご飯だった。

教科指導法(情報・2018年夏,2019年夏)

しばらくすると教科指導法もやるようになった。私は情報と数学である。中でも情報科の指導法の授業は面白い。(2019は重かったけど...)

情報科というとエクセルやったりワードやったり、みたいなイメージを持つ人が多いだろう。しかし指導要領が改定されると、プログラミングや論理的思考力を養う側面が大きく出てきた。この手のことはcoinsでよくやるが、それを高校生向けに教える強化としてやるには、色々工夫があったりする。

例えば、アルゴリズムを教えるとしよう。実際教科書の中でソートのアルゴリズムを扱っている。ソートアルゴリズムには色々あるが、クイックソートが速いと言われてリウ。coinsのDSA講義・演習だとそのアルゴリズムに従ってプログラムを書いたり試験で各ステップごとの様子を書き下したりする。これ、ちゃんと勉強しないと案外難しい。

この際に用いられる方法論として「アンプラグド」というものがある。 アンプラグドプログラミング教育:

電子デバイスを使わずにプログラミング的思考を学ぶ

パソコンやタブレット端末といった電子機器を使用することなく、プログラミング的な思考を学ぶ学習方法。カードやパズルなどを用いることで、コンピュータが動作する仕組みや、プログラミング的な問題解決の手順(アルゴリズム)を学習する。児童・生徒に対して十分な数のパソコン/タブレット端末などを用意できない環境でも、プログラミング的思考の学習が可能になるメリットがある。 edtechzine.jp

実践事例とかが報告書の形で上がっているので、こういうのを見ると結構面白い。というのも、日々それわ学んでいる側、それも大学生から、の身からすると、「なるほどこういう教え方があってこういう効果があったのか」などいろんな知見が得られる。

今後プログラミングが教育現場で重視されていくことは皆さんもご存知だろう。小学校でプログラミングの必修化というのもある。そうすると、情報科においてプログラミングを通した論理的思考力の育成に力が注がれていくことになる。プログラミングが「生きる力」のために必要か否かはおいといて、その手の能力が必要となる局面であったり職業の増加を国は予見してのことなのだろう。

そのようなちょっと先の未来において、私が持っているであろう情報科の教職免許をいかに使うか、これはちょっと楽しい悩みどころである。

教職に関する科目(2019年度春秋)

2年生の時にいっぱい取ったおかげで今年はあまり取らなくて問題なかった。ただ、モチベが下がった気がする。というのも3年になって色々と忙しくなってしまったからだ。そうなると1限の教職に出るのも億劫になる。

だがしかし、ここまで順当すぎるほどに単位は回収してきた。もう引き返せないのが正直なところ。 こう思ったことがある教職勢は他にもいるだろう...

現時点で残っている授業は数学科の指導法2つである。ちょっと苦痛に感じているところが2年の時と違うところだが、あと3単位と来年の教育実習、事後指導、介護等体験(これが重い)を乗り越えれば晴れて教員免許である。

けど、思い悩むほどではないのが私の所感である。このまま突っ走る。

おもい

みんなにメッセージがあるとすれば、一つだけ。

教職はとるな。

大体教職を斬ってもいいという心境になるのは、切ってはならい状況になった時である。終始私は惰性でやってるし、根っからのポジティブ人間なので別に病んだりはしない。そういうポジティブな人間じゃない限り、もしくは教職に大きな熱意のある人じゃなきゃおすすめできない。

ただ、教職を受けてみないと知り得なかった知見や思想はあるんだけどね。そういうような、おすすめできる点もないわけではない。

あと一つ思うのは、教職課程(委員かな)が全体的に頭が高すぎる。配慮がない。わがまま。大人気ない。自己中。あくまで教職免許を取りたいと思った人に対して、履修や実習におけるサポートをだけをして欲しい。

例えば、「教職志望の人はみんなこれでてくださいね〜授業かぶっていてもこっち優先してね〜」というスタンス。この時点でちょっと「?」となる。そしていざ出てみると特有の見づらい資料にそれを読み上げるだけの説明。優先するだけの価値を感じなかった。資料をmanabaにアップで終了、これでいいと思う。

授業自体は全く問題ない、どころか普通に面白い(時々悪い意味でやばいのあるけど)。何でもかんでも俺を優先にしろっていう教職のメンヘラ気質がどうも気にくわない...

さらに、これは教職課程の枠を超えたところの話だが、教員に対するキャリア支援が不足しているという印象を感じる。ブラックだとか色々と言われていることは皆さんもご存知。私は教職の現場がブラックかどうかは知らない。私が当事者ではないし、声を大に言ったりして迷惑被るのは先生方なので。が、少なくとも私が受けた授業での現職の先生方は皆「自分ではブラックだと思っていない」「確かに時間外勤務もする時はある」「けどやりがいはひしひしと感じてるし、現状に文句はない」という考えをもたれている。はぁそうなんかと思って聞いていたが、どれも主観なのは変わらない。教員になる人はちゃんと見極めたほうがいいかもしれない。

まとめ

結局は、教職とは付き合い方が重要だと考える。うまく付き合えないようならやめとけ。でも受けて価値が全くないということはないと思う。

coinsにはほんの数名教職課程を取っている人がいるが、各々が各々の理由で取っている、と思う。が、それぞれちゃんと理由は持っているのではないだろうか。

教職課程は慎重に。途中で切ることができるのも事実だし、迷ったらちょっと取ってみようというのもありじゃないかな。

一方で、やっぱ世の中はもっと教育に関心を持ってもいいんじゃないかなー、と教職を通じて思った。これはみんなが教員免許をとれという話ではなく、日本の教育に対してどんどん干渉して理解したり時にはしっかり批判をしていくべきなのでは、ということである。教職課程で学ぶことの中には一般教養にすべき事柄も多い。こういう知識や現状・思想をみんなに還元するプラットフォームがあればいいなと思った。

ところで...

ついこの前、母校の恩師と飲んだ。八海山をお猪口に注ぎ合ったなかなか感慨深かった。 その先生は英語の教師で部活の顧問でもあった。とても退廃的な人間である一方で、親しみやすく、一言で言えば面白い人間だ。私が受験生のころに先生は心臓を患い(今は回復)、入院が暇だというので毎晩のように英作文を添削してくれとメールで送りつけていた。

教員という仕事について、恩師は「まじウゼェ」とか言いながらもとても楽しそうだった。教員の裏側のどろっどろした事情とかいろんな問題行動について「マジ勘弁」「うまくやって欲しい」と口々にいう。でも結局のところ、私も中高時代楽しかったし先生も大変だったろうけどプラスなところも多かったようだ。教職課程をとろっかなーと思ったきっかけの一つであるかもしれない。

私がいろんな問題を抱えた時や迷いごとを抱えた時はいつもノリよく話を聞いてくれた。先生の経験を踏まえた話も大変役に立つ。教師という役職だからこそこの点は目立ったのかもしれない。

私は教師になろうとは一回も思ったことはないが、「うまくやっていく」ことを大切に生きていく。

教職はいいぞ(教職はダメだぞ)